「夏目漱石の足跡を巡る旅」
【 和風ジャパン 】=伝統 文化を楽しむ ライフスタイルの提案
大好きな夏目漱石。彼をもっと深く知る一つのヒント。
それは、「実際に歩いただろう足跡を巡ってみる」ってのも、ちょっと面白いかなって考えて・・・
で、思い切って、若き日の漱石 ゆかりの地を訪ねる「文豪 夏目漱石の足跡をめぐる旅 第一弾」と称しました!
まず、第一弾!
文豪 夏目漱石が、明治32年「正月旅行」に、友人の奥太一郎 との小旅行で立ち寄ったいくつかの街。 行く先々の街で、多くの漱石の句碑に出逢い、 まるでタイムスリップして漱石と一緒の旅気分でした。
大分県は宇佐 ・耶馬渓(やばけい) ・羅漢寺 ・日田温泉・ 福岡県は吉井(原鶴)温泉・ 二日市温泉・ 天拝山・太宰府ほか (すべてYouTubeにアップしてます)
その一つ 大分県 日田市。
「日田の天領水」でおなじみの、天領 日田 (てんりょう ひた)」です 。
温泉も、お料理(珍しい野菜の握り寿司や、名物日田焼きそば)も、風景も、そして人情も最高な街でした(日田の歴史の生き字引き シイタケ屋のご主人、資料館の矍鑠とした担当者さん、大変御世話になりました)
写真は、夏目漱石が「詩僧 平野五岳」に捧げた句が残されている専念寺。
この寺の住職だった 五岳は詩は広瀬淡窓に習い、のちに田能村竹田の影響で文人画を描き始めたそうです。
偶然、 わたしも20年ほど前から、広瀬淡窓や 田能村竹田に興味をもっていたので、その影響を受けた平野五岳にも興味を持ったので掛け軸を集めたりして楽しく調べていたのです。五岳って面白いエピソードがいっぱいの人物なんです。それはいずれ、また・・・
広瀬淡窓の作った私塾:「咸宜園」の入試は難しくて、あの坂本龍馬でも入れなかったという噂ですよ・・ほんとかなぁ。詳しくは現地に行って訊いてみて下さいませ(笑) じつは東京の神楽坂にも明治初めあたり、分校みたいな「東宜園」があったらしいのです。ほんとかなぁ。
私は、この漱石の句碑が日田にあることを知らなかったので ちょっと驚き でした。「 やっぱり何かのご縁かな」って ちょっと嬉しかったです。
漱石が五岳に捧げた句 「詩僧 死して 只(ただ) 木枯らしの 里なりき 」
日田に立ち寄った漱石は、その当時、平野五岳をどんなイメージで捉えていたのでしょうか? もしかしたら同行の奥氏が誘ったものか・・・・、ご存知の方がいらしたら教えて欲しいですね。